父親と自分の関係、夫と子どもの関係
今日は、お母さんが北海道の研修に出かけて3日目。
明日の夜中には帰ってくる予定。
お父さんと二人で実家で過ごす、ある意味貴重な時間だ。
(とはいえ、里帰りしてからというもの、お母さんが仕事の時間はお父さんと二人。)
お父さんには、昨日、本当に優しくできない自分に気が付いた。
昨日は体調が一日すぐれず、特に胃の気持ち悪さと、お腹の張りとで辛くて、
その様子を何度もうかがってくれるお父さんに、
「しんどいのに、急かすように何度もこないでよ」とか
「うるさいな~」とか思って邪見に扱っていた。
まるで10代の反抗期の在り方。笑
自分の子どもさに呆れながらも、つい優しくなれない自分…
その時にふとよぎるのが、
「私が、これから生まれてくる娘だとして、健はこんな態度取られたら傷つくだろうな~」
ってこと。
案の定、健に、「お父さんに優しくできないんだよね」ってラインしたら、
「それは、まがいものです。笑」と言われて、ほんとそうだな~自分ダサいよな。って思えた。
そういう自分を認めて、昨日の夜は、レトルトのパスタ作ってくれたことに感謝したし、わがままきいておいしいケーキ買ってきてくれたことに感謝した。
今朝は、お父さんに赤ちゃんの部屋を作るために改めて片付けをしてほしいことを伝えたとき、一度、何故片付けが進まないか、じっくり話してみようと思ってそういう機会を設けた。
お父さんは、昔から片付けるのが苦手だったそう。
そして、今、「片付けといてね」って言われると、あまりやりたいことのイメージとしてうかばないようで、明らかに浮かない顔になっている。
捨てるのが苦手、とも言っていた。
私も、元々、もしかしたら兄弟の中ではマシだったかもしれないが、それでも片付けは苦手な方だ。久喜で過ごしていた時も、使っていないものをそのままにしてしまっていた確率は高かったし、結婚式の時のものを、スペースがあるからといってそのままに2年間し続けていても平気、という有様だった。
引っ越し準備をしている時に、家の中で7割くらいは私のものであることにも直面した。
そんな私でも、今回の引っ越しでは相当多くの服を手放したし、新しい命のために今目の前にあるものがたとえ勝手に捨てられたとしてもそこまで執着しないだろう、と思えるようになった。
「起き」の問題なんだと思う。
自分にとって、過去と今、未来とあるときに、未来が重要って起きるから、過去は手放せる。
もしかしたら、お父さんの場合は、これから先の未来よりも、これまでの過去が大切にしたいことなのかな。だから手放せないのかな。
…でも、いつの時も手放してこなかったと思う。笑
いつも過去にすがりついているのでは?とついつい思ってしまう。
いずれにしても、お父さんと、私の本音も伝えてからは、自分で和室を掃除しに行ってくれる姿が嬉しかった。
私も、少しでも役に立ちたくて台所掃除をした。
美味しそうなものがたくさん出てきて、宝探しみたいで面白かった笑
夜はお父さんに、高の原イオンで靴を買ってあげた。
晩御飯の時に、「昔の私たち子どもはどうだった?育児で大変だったことは?」とか聞いてみたけど、何も返事がなかったのはさみしかったし、
なんでこうなるんだーってまたちょっとイライラが出てしまったけども笑。
今、私がお父さんに対して取れる態度が、
子どもと健の関係に響いてくる。
それは間違いなくある。
「父親が子どもの未来を輝かせる」にもあったけど、
子どもにとっては、私たち夫婦の関係や、夫婦とその両親との関係が社会の縮図、人間関係の縮図そのもの。
自分の扱われ方、そして自分から人への扱われ方に大きく影響する。
自分を意地悪なまがいものに与えている暇はないんだよな。
健を愛せる、子どもを愛せる自分なのであれば、両親や家族、みんなを愛せる自分で、すでにあっていいはず。
子どもを通して本当に自分の在り方を考えさせられる。